日本水路協会技術顧問・理学博士 宇野木早苗先生により私(うみガエル)の研究の一部が(財)日本水路協会の機関誌「水路」に紹介されました.先生は海の天気を予報することの重要性を提言されています.


-提言-

水路部に「海の天気予報」を期待する

宇野木早苗

1 海の天気予報の必要性

先日久しぶりに花のお江戸に出て来て,神田の本屋街をのぞいた時の話です。ある大きな書店の地学関係のコーナーに,気象に関しては専門書から解説書まで,特に気象予報士に関連して多数の本が所狭しと並んでいることに驚きました。ところが海洋,ここでは海象を指しますが,これに関する本は数冊が隅にひっそりと並んでいるだけで,まことに淋しい思いをしました。高校の地学の教科書でも,海象の記述はあるかなきかの状態で,海国日本といいながら,まことに嘆かわしいことです。気象に人気があるのは,お天気のことが日常の挨拶になるほど,それなりの事情はあるのですが,一般の市民が海象にこれほど関心が薄いのは,海に関係する者の怠慢もあるのではないかと,自分白身を含めて自戒する必要もあるように思います。

一般の人に関心と認識を持ってもらうためには,日々の予報が最も適しています。海に関係する産業・運輸交通に従事する人,さらに海のレジャーを楽しむ人は極めて多いと考えられます。海の相談室の話によると,週末を控えた木曜・金曜日には問い合わせが多く,時にお茶を飲む暇もないほどだといいます。それだけ海の天気への関心と需要が多いことが推察されます。

空の天気が風・雨・雲・気温・湿度などの変化を表すことに対応して,海の天気は水位・波浪・流れ・水温・塩分などの変化を意味します。高気圧・低気圧・前線などの通過に応じて空の天気が目まぐるしく変わると同じように,黒潮や気象などの変動に伴って,海の天気も激しく変わります。

そこで私は機は熟したと考え,ここに水路部はこれまでの実績を基礎にして,沿岸における海の天気予報,すなわち日々の海象予報を本格的に考えていただきたいとお願いする次第です。機が熟したというのは,上記のようにこれへの期待と需要は今後ますます増加すると予想されることもありますが.一昔前に比べたとき,後で述べるように,技術的にもかなり可能性が高まっていると考えるからです。

 

2 漂流予測,強潮流予測,そして海の天気予報へ

海の天気予報に関連して,必ずしも日々を対象としてはいませんが,これまで水路部はいろいろな問題について調査・研究・事業を行ってこられ,高度な知識と経験も持っておられると推測されます。ただ私は具体的な事項については詳細を知らないので,自分が関係したことについて述べさしてもらいます。

振り返ればかれこれ20年ほど前と思いますが,現在は日本水路協会の専務理事で,当時は現役で活躍しておられた岩渕さんに,私は各種委員会の後の懇親会の席などで折に触れて,水路部は沿岸流動に関して我が国の中心となって頑張って欲しいとお願いし.けしかけたことがあります。というのは,今でもそうですが,当時の活発な臨海開発,および工業排水・温排水・油汚染・水質汚濁など海の公害や環境悪化が大きな問題になっていて,その対策が急がれていたのです。このとき沿岸海象としては海水の流れ,特に潮流でなく非周期的に大きく変動する流れ(平均流,恒流,あるいは残差流と呼ばれるもの)の知識が非常に必要なのです。

この流れには河川水の流入に伴う密度流,風に起因する吹送流,地形に伴う渦流,さらに黒潮などの変動に伴う沿岸流動の変化などが含まれます。潮流はたしかに内湾・沿岸で一般に最も目立つ流れですが,海水は1周期後には元の位置に戻ってくるので,物質輸送という観点からは,速さの割にはその効果は小さく,むしろこれに伴う乱れの拡散効果が注目されます。これに対して上記の一方向の流れは,長い時間の物の動きを考える場合には,大きさは小さくても本質的に重要です。だがこの流れは比較的弱くて変動しやすく,かつ季節的にも変化しているので,これに対する私たちの理解は著しく乏しく,これが問題の解決を困難にしていました。それだけこれに関する情報が,強く要望されていたのです。

水路部は,恒流に関して,小野さん・山田さん・矢野さんなどの先駆的業績はあるものの,当時は流れに関しては黒潮などの大きな海流と,周期的な潮流を中心に考えていて,上記のような要請に応える態勢や意識ではなかったように思われます。むしろ沿岸の開発に関係する通産省や運輸省港湾局などが熱心なようでした。一方気象庁の海洋業務は外洋に向かい,沿岸流況から撤退する方向にありました。このような状況なので,沿岸流動に関しては水路部が頑張ってくれねば我が国は困ったことになると思い,前述のように岩淵さんにお願いした次第です。その後ありがたいことに,JODCの充実もあり,水路部や水路協会もこの方向に尽力され,観測も進められ,まだ十分というわけではないようですが,資料もある程度整備されてきたように見受けられます。

この結果として,例えば油の流出事故や海の遭難事故の場合に,まだされているようですが,とにかく漂流予測が実施できるようになったのは,関係する方々の努力の賜と敬服しています。沿岸の流況情報の取得システムや漂流予測システムなどの検討委員会に関係したものとしても,大変嬉しく思っています。またこの3年間ほど関門海峡の強潮流の予測法を検討する委員会に加わっていますが,やはり関係方面の努力のおかげで,気象変化を考慮したリアルタイムの面的強潮流予測システムの実用化も,夢ではなくなってきたように思われます。

かくして漂流予測や強潮流予測はその手始めであり,水路部は今や全面的に沿岸における毎日の「海の天気予報」へと前進し,海の気象台を目指すべき時期にあると確信し,その実現を希望するところです。

 

3 沿岸における海の天気予報の可能性

この可能性を探るために,まず空と海の天気の違いを見てみましょう。海の天気が最も激しく変化するのは沿岸であり,またその予報が最も望まれるのも沿岸です。沿岸の流れ(潮流でなく平均流)の大きさは毎秒10cmのオーダであり,少し上空の大気の流れ,風より2桁程度小さくなっています。空の天気は三寒四温といわれるように1週間ほどの周期で変化することが多いですが,1週間の間に空気は,毎秒10mの風で6000Kmの距離を進みます。すなわち1週間の空の天気予報を考えるには,地球規模の広大な範囲の情報が必要になります。ところが同じ期間で毎秒10cmの速さの沿岸水は,わずか60Kmを進むだけなので,海の天気予報にはかなり狭い範囲の情報で事足りることが分かります。

ただし海の天気の変化は,海水自身の移動というより,いろいろな海洋擾乱(海洋波動)の伝播によることが大きいのです。たとえば一時騒がれた異常潮位は,沿岸に卓越する水位変動が1週間程度をかけて,関東から九州方面に伝わったものでした。これに伴って流れや水温も変化しているはずです。この海洋擾乱の伝播速度は毎秒2m程度ですが,それでも気象擾乱の伝播速度より1桁小さいのです。なおこの海洋擾乱は,陸棚波の性格を持つと考えられますが,この陸棚波の存在は,日本沿岸の水位変動の伝播を調べた水路部の圧司さんが,世界で最初に発見したものです。

付図は東海大学大学院生の勝間田君の研究成果を借りたもので,伊豆諸島・伊豆半島・駿河湾沿岸の水位変化(潮汐や気圧の効果を除いたもの)と,駿河湾東岸近くの流れと水温の変化を示したものです。これによると,約20日周期の変動が極めて卓越していることが分かります。しかもこの変動が伊豆諸島から伊豆半島を経て駿河湾に,秒速20cmの速度で伝わっていることが,明瞭に認められます。この擾乱の成因と性格はまだ明らかではありませんが,黒潮の変動あるいはその前線波動に関係すると想像されます。海の天気の変化は,このように様々な性格と時空問スケールおよび伝播速度を持つ海洋擾乱が主因となって現れると考えられます。これが空の低気圧や高気圧に相当するのです。そして以上の2例が示唆するように,密な観測データに基づいて,発生した海洋擾乱をつかまえ,それを注意深く追跡していけば,それに伴う海象の変化はかなりの程度予測可能であるように思われます。

したがって海の天気予報には,何よりも時々刻々の海象の実態把握が本質的に重要です。空の天気予報に気象観測網が不可欠であると同様に,海の天気予報にも海の観測網が不可欠です。ただ海の場合には,必要な観測網の整備が困難であったため,これまで海の天気予報が思うに任せなかったと考えられます。だが事情は大きく変わってきました。

すなわち非常に好都合なことに,同じ海上保安庁の組織にある実に百隻もの巡視船が,音波ログを用いて流れを観測するようになったことです。現在入手する観測データの量はあまりに膨大であるので,整理が大変であると聞いていますが,これこそまさに宝の山というべきものです。このデータがリアルタイムに入手できるようになり,さらに.技術的に可能な水温の観測も加われば,すばらしい観測網が出来上がります。また,水路部が重要地点に配置している験潮所の水位データ,さらに航路標識事務所の観測データに海象データが加われば.その有用性はさらに増大するでしょう。すなわち水路部は身内に多数の海象台を持っていることになります。あるいは海上保安庁全体として海の天気予報を考えるべきかも知れません。

また最近は人工衛星に搭載された熱赤外放射計・マイクロ波放射計・海面高度計で得られた各種の海洋情報が,宇宙から送られてきます。これら様々の情報の取得方法や解折方法については,今後検討すべきことが多いと思われますが,ともかく沿岸における海の天気予報を行うに必要なデータは,その気になれば現在はかなりの程度,リアルタイムで入手できる状況にあると考えられます。これが機が熟したと考える最大の根拠です。

なお参考のために,毎日の海の天気予報に必要な基礎データの入手状態は,空の天気図と予報が初めて発表された明冶16年すなわち1883年3月(最初は1日に1回,4月からは1日に3回,また暴風警報の最初の発令は同年5月)に比べると,はるかに高度な状態にあり,まさに雲泥の差があるといえます。之しい気象データを基に,今からみれば幼稚ともいえる気象学の知識の上で始まった毎日の天気予報の精度が,芳しくないことは当然のことで,予報が外れることも多く,しばしば強い非難を受けました。ある測候所は天気予報が3日続けて外れたために,測候所無用論が叫ばれたということです。かくして「測候所,測候所,測候所」と3度唱えれば,生水飲んでも当たらぬと冷やかされたという話も伝わっています。だが社会の要請に応えるため,このような苦労に耐えて,学問と技術の発展が図られた結果,今日の空の天気予報の隆盛が存在し,人々の関心を高める状況が生じたと思われます。

空の天気の数値予報のように,海の天気の数値予報がすぐにできるとは思いませんが,条件を揃えていけば,将来は可能であると判断されます。なお気象の数値予報が始まる前の天気予報は,実況を表す天気図を基に,予報官の知識と経験に依存する予報が長い間続きました。海の大気変化をもたらす海洋擾乱の時空間スケールを考えると,実況図に基づく海の天気予報は,見込みが高いと私は思います。

具体的な事業の実施は,いろいろな条件があるでしょうから,いつのことか分かりませんが,毎日の海の天気予報は将来必ず要請されると考えられるので,いまから検討と準備を始められることを期待いたします。そして事業の実施に失敗は付き物で,矢敗を恐れては何もできません。おそらく旨く行かないことも多々あると思います。矢敗は成功の本といわれるように,失敗の原因を見極め,進むべき方向を考え,それに向けて努力することによって,学問も技術も進歩し,海の天気予報の精度と評価が高まってくると考えられます。それがまた,技術者や研究者の確保につながっていくものと思われます。

 

4 海の天気予報を水路部に期待する理由

水路部は現在月に2回の割合で海流速報を刊行しています。これが我が国の海洋関連業務に,また海洋学の研究にどれほど役に立っているか,いうまでもないといえます。ただ月に2回はやはり少なすぎるので,もっと頻繁な刊行が望まれています。それに応えるため,最近になって日本水路協会海洋情報室から,相模湾・伊豆諸島・遠州灘周辺を対象にした詳細な海況速報が毎週刊行されるようになりました。これの内容は極めて興味深いのですが,少ない人数での定期的刊行は,担当者の並々ならぬ努力と献身があるものと頭が下がります。この発行間隔をさらに縮め,内容を豊富にし,予測を充実させることが,すなわちここで考える海の天気予報そのものであるのです。

上記のような定期的な海流・海況図の作成から得られたノウハウの蓄積は,日々の海の天気予報を行う上に極めて貴重な財産であり,またこのノウハウを身に付けている技術者も,水路部関係者には多数おられると思います。さらに海の天気予報技術を学問的に支え発展させていく人材も,少なくないと推測されます。そして,水路部および海上保安庁を含めたデータ取得体制,また水路部・JODC,および水路協会・海洋情報研究センターのデータ解折能力は,大いに期待されるものがあります。さらに水路部と水路協会の密接な協力体制は,このような事業を行う上に非常に有効に働くのではないかと愚考しています。

以上の諸点を考えたとき,現在気象庁が空の天気予報を行っていると同様な.日々の沿岸海象予報が業務化できる機関は,水路部が最適であると判断されます。そして広い分野での海洋の活用と,保安・保全・防災,また我が国民の海洋への関心と理解を高める上に,これの事業化は必要不可欠に重要なものと考えられるので,関係者において是非検討下さるよう,この小文を記しました。

なおこの事業が我が国の海洋研究へ著しく貢献することは必然ですが,空の天気予報事業(観測・解折・予報)の場合と同様に,大学などの水路部外における研究の推進と研究者層の拡大をもたらし,ひいては海の天気予報技術の進歩に大きく寄与することも重要と思います。さらにいつの日か世間で,四面海に囲まれた我が国において,海象予報士が人気の的になっているなんて想像も,楽しいではありませんか。

最後に,この小文では,水路部のその他の重要な業務については何も触れず,また法制上のことについても知識がないため,考え違いをしていたり,独断的であったり.聞き苦しいことも多々あると思います。この点は,水路部に海の研究で長い間お世話になった老書生の,外野席からの応援歌とお考えいただいて,お許しをお願いする次第です。(1999年3月15日)


(財)日本水路協会機関誌「水路」より


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